職場での義理チョコは禁止すべきだと思いますか?
バレンタインデー直前、
「産業組織心理学」という固いタイトルの研修で、
こんなテーマでグループ討議をしていただきました。
自分の意見を主張するのではなく、
6人グループを3人ずつの2チームに分けて、
片方には「禁止すべきだ」
もう片方には「禁止すべきでない」と役割を決めて、
チームごとに作戦を練って対戦する形式の演習です。
「もらったらうれしいですよね。」
「いや、お返しが・・・」
「年賀状も廃止されているし、」
「コミュニケーションの促進として、」
どのグループも熱を帯びて盛り上がります。
対戦しているはずなのに、笑い声もあふれます。
このお題には正解はなく、どちらが論破するかは、
実はあまり重要ではありません。
ポイントは、討議プロセスの振り返りにあります。
議論の展開を有利に進めるためには、
作戦会議で何を準備しておけばよかったのか、
討議中は何に気をつければよかったのか、考えます。
理由を1つしか考えていなかったチームは、
「ネタ切れして、途中で言うことがなくなった。」
「予想外の視点で反論されたら、
すぐに思いつかなくて何も言い返せなかった。」
と悔しそうに語ります。
職場でもそういうことはありませんか?と問いかけると、
「上司と話すときもこんな感じです。
何か1つ指摘されたら、一瞬で会話終わります。」
「あ、最初から理由をいっぱい考えておけばいいの?」
次々に気づきが生まれます。
「相手チームの話を真剣に聴けてなくて、
うまく反論できなかった。
次に自分が話すことを考えている場合じゃなかった。」
対話の大事なポイントも、実践で学んだようです。
研修の前半では傾聴も質問も扱い、
たくさん練習してできるようになったはずなのに、
目の前の対戦に夢中になると疎かになっていたことに
自分たちの力で気がついたのです。
この演習の目的は、
効果的に意思決定を行うために、
掘り下げて考える力、論理的に説明する力を
高めることでした。
講師の私は、
決してもともと論理的思考力や分析力が高いわけでは
ありません。
「大変です! ○○が~~で、ああでこうで・・・」
20代の終わりごろ、
メーカーで部門間調整の仕事をしていた私は、
現場でトラブルが起こるたびに、
猛ダッシュで職場に戻り、
上司に息せき切って報告していました。
「何か大変なことが起きたことは、よーくわかった。
俺が対処する必要がありそうなこともわかった。
で、何がどうしたの?」
というやりとりが、日常茶飯事でした。
こんなに一生懸命説明しているのに、
なぜ通じないのだろう?
あるとき、上司に質問しました。
「どうしたら
1回でわかってもらえるようになりますか?」
「福住さんは個々の製品を担当しているから、
部品1つの不具合で今日の予定が狂ったら、
大問題だと思うかもしれない。
でも、俺は全体を見てるから、
そこはあまり関係ないんだよ。
要は、
全体スケジュールの中でリカバリーできるのか、
発売日や価格に影響するのか、
展示会に出すラインナップを見直す必要があるのか、
そんなところを判断したいんだよ。」
目から鱗が落ちました。
立場や視座が違うと、
同じできごとや理由を説明するにも、
必要な情報の種類やまとめ方が異なることを
初めて知りました。
それ以来、少しずつ、
「基板変更で単価が○円上がるので、
営業と調整が必要です。」
「工場出荷は2日遅れますが、
事前に船会社と連携しますので、
予定通りの便で出荷できます。」などと
上司からよく質問されること、
技術者が早く欲しい情報、
営業が知りたい情報、
などを整理して話すように意識しました。
そうするうちに、
「何が言いたいの?」と聞き返されていた私が、
説明がわかりやすいと言われるようになりました。
この経験があるからこそ、
論理的思考が弱い、自分で考えようとしない、
と相談されると、
研修講師としての血が騒ぎます。
1回の研修で、
ロジカルシンキングがマスターできるとは言いません。
それでも、
夢中になって考えられる演習を経験すれば、
問題を解きほぐし、
シンプルに順序立てて伝えられるように、
誰でもレベルアップできると確信をもっています。
演習で盛り上がった後は、休憩時間の雑談の中にも、
「反論!」
「理由は~」
「さっきのチョコレートの例で言うと、」と、
学んだばかりの知識や用語を冗談交じりで使って、
楽しそうに話す声があちこちから聞こえてきます。
義理チョコ対戦の続きをしている人たちもいます。
職場で上司やお客さまにどう説明すればよいかの
ヒントもいくつか見つかったようです。
「これからチョコレートを見るたびに思い出せますね」
バレンタインデーが過ぎても、
お店や広告でおいしそうなチョコレートを見るたびに、
「相手が知りたいことは?」
「理由をいくつか考えよう。」と
日々、論理的思考が磨かれていくと信じています。